【プロフィール】
元LINE株式会社 代表取締役 (現C Channel株式会社 代表取締役)
森川 亮(もりかわ あきら)
神奈川県出身。1989年筑波大学卒業。
日本テレビ、ソニーを経て2003年ハンゲームジャパン(現LINE)に入社し07年には代表取役社長に就任。
2015年3月、同社代表取締役社長を退任し、アドバイザーとして顧問に就任。現在C Channel株式会社代表取締役社長。
「大学生の時はバンド活動ばかりしてました。将来はミュージシャンになりたかったんです。」そう語るのは、先日、東証一部上場も果たした元LINE株式会社代表、現C Channel株式会社代表取締役の森川 亮さん。
日テレ、ソニーという大手企業で錚々たる成果を残しながらも、当時30名ほどだったハンゲーム(現LINE)に転職。わずか4年で代表に就任。2011年にリリースした「LINE」はわずか1年半でユーザー数1億人を突破し、現在は全世界約2億人のユーザーを抱える正真正銘のグローバルサービス。その急成長を牽引したのが森川さんだ。
LINEが目覚ましい成長を遂げてる最中の2015年、48歳のタイミングで突然LINE社長の座を退任。女性向け動画メディアを手掛けるC Channel株式会社を立ち上げ、現在も新しい挑戦を続けている。
誰もが羨む成功を掴んできた森川さんは一体、どんな大学生だったのか。そして、LINE代表を辞め、ゼロから起業に至った背景は何か、お話を伺った。
バンド活動に明け暮れた大学時代
質問 森川さんはどんな大学生活を送ってましたか?
とにかくバンド活動に没頭してました。
昔から歌が好きで、子供の頃は合唱団に所属してミュージシャンのバックコーラスをしてたんです。
だんだん楽器の方にも興味を持つようになって、中学高校では仲間とバンドを組み始めました。僕はドラム担当だったんですが、ちょうどその頃シンセサイザーが流行りだして、音楽業界にもコンピュータの波がきているのを感じていました。
そんなある日、ドラムパートを自動演奏するマシンを目の当たりにしたんです。衝撃でした。ドラマーが世の中から必要なくなる日がきちゃう!そう焦ったのを今でも覚えています。実は、それがきっかけでコンピュータに興味を持ち始めて、筑波大学の情報工学部に進学することにしたんです。
でもいざ授業が始まるとつまんなくて笑。結局中高と変わらず、バンド漬けの大学生活でした。授業もろくに受けず、朝起きたらスタジオに行って、夜はバイト。という日々を過ごしてましたね。
キャリア/バイトの一石二鳥!有給インターンとは?
質問 森川さんご自身の就活について教えてください。
音楽が全てだったので、できればプロミュージシャンになりたいという気持ちもあったんですが、高校の時に見た自動演奏のドラムマシンの衝撃が頭からずっと消えず、いずれドラマーという職業はなくなるのではないかという不安が常にありました。
それでプロの道は諦めたんですが、それでもやっぱり何かしら音楽に関われる仕事につきたいなと進路を迷っていた時、偶然学内で日テレのセミナーのことを知ったんです。
「日テレなら実家も近いし、音楽にも関われそうだし、とりあえず行ってみるか」という軽い気持ちで選考をうけたら、運良く内定を貰うことが出来たんです。
テレビ局なら音楽にも携われるだろうということで、迷わず日テレに入社を決めました。
音楽番組担当を希望したものの、配属先はシステム部。
質問 新卒入社した日テレではどんな経験をしましたか?
音楽に関わりたくて入社したので、もちろん、音楽番組担当を希望しました。ところが、配属されたのシステム部。音楽とは無関係の部署だったんです。情報工学部専攻であったことが災いしました。
それこそ、当時はミュージシャンになりたい!という気持ちすらあったわけですから、いきなりシステムやれと言われても全然やりたくない。本当に落ち込んで、いつ辞めようかということばかり毎日考えていました。
そんな気持ちが顔に出てしまっていたのか、当時の上司から、プロフェッショナルではないと厳しく指導されましたね。
それからは、やりたいことをやらせてもらえるように、「まずは今の部署で期待以上の成果をあげよう」と気持ちを切り替えて仕事に取り組み始めました。
システム部では財務システムの開発から選挙システムの開発などを経験しました。今では当たり前ですが、選挙の出口調査ってあるじゃないですか?実はあれを作ったの僕なんです。その後、視聴率分析システムも作ったりして。これが結構評判がよくて、当時20代だった私に全国から講演依頼がありました。
十分な成果もあげたので、そろそろ好きなことできるかなと期待していたんですが、皮肉なことに部署で成果を挙げれば挙げるほど、部署で欠かせない人材になっていくんですね。
結局、いつまでたっても異動が認められないので、ある日思い切って辞表を提出しました。そしたら、「好きなことやっていいから」と会社が僕専用の新規事業の部署を急遽作ってくれて。
新しい部署では海外出張の機会が多かったのですが、海外メディアに触れるたびに、世界に通用する番組を作りたいという気持ちが新たに芽生えてきました。でも当時日テレの収益源は国内放送、簡単には取り組めない状況でした。
でもグローバルな事業を手がけたいという思いは日に日に強くなって、最終的にそれを求めてソニーへ転職することに決めたんです。
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3年間、朝5時から深夜まで1日20時間働く。
質問 ソニー入社後はどんな仕事をしていたんですか?
ソニーでは新規事業部署に参画しました。これでついにグローバルな仕事に携われると意気込んで入社したものの、いざ中に入ってみると、会社が打ち立てたグローバル展開という方針と現場の意識にはかなり乖離があるようでした。
結果として、ここでもやりたいことがやれない状況だったんですね。そういう背景もあって、当時はよく上司とぶつかってました。あまりにも意見が受け入れられないので、新しい部署に勝手に移って、名刺も勝手に作って仕事を始めました。
その勝手に移った新しい部署では、他社と共同事業(ジョイントベンチャー)を開始したんですが、この時が人生で一番働きましたね。コンテンツ責任者として、毎朝5時から深夜まで1日20時間くらい働いてました。
本来の所属部署からは「森川くんがいつも会社にいない。」ということで、最初だいぶざわついていたようですが、新部署でしっかり結果を出していたので、結局、後追いでそのポジションを公認して頂きました。
この経験を通じて、「一生懸命になれば、なんとか食っていく位には稼げる」と自信がつき、その後の仕事においても大きな財産になってます。
同時に、グローバルに展開する事業を手がけたいと考えた時に、大手企業だとどうしても動きが後手になるなと実感し、ベンチャー企業への転職を意識するようになりました。ちょうどその頃、韓国がブロードバンド領域で日本より先を行っていて、そこで当時社員30名程度のオンラインゲームで勢いのあったベンチャー企業、ハンゲームジャパン(現LINE)に転職することを決めました。
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質問 LINEに入社してみてどうだったんでしょうか?
一応、ハンゲームジャパンには社長の右腕的なポジションとして採用されたんですが、初日に行ってみたらまず社長がいないし、どこにいるのかも分からない。渡されたパソコンは古すぎて、立ち上げだけで1日終わるような感じで。とくに仕事を任されることもなく「作ったゲームをプレイしてて」と入社後1ヶ月は何もやることがなかったです。これはさすがに期待されてないなと焦りましたね。
その状況が辛くなって、自分で提携先見つけて開拓したり、新規ユーザー獲得についてアイデア練ったりしたんです。そしたらその動きが評価されたのか、ある日突然当時の代表から「ハンゲーム事業部の責任者やってみないか」と言われ、事業部長に抜擢されました。
大きな成果を出していたわけでもなく、突然の抜擢だったので、周囲の不満は多かったと思います。どうせ成果をあげられず、すぐに降格すると思われてたんじゃないかな笑。
でも幸いにも事業部長になってから、売り上げは急速に伸びていきました。その時点で売り上げ年間2億円だったところから、3年で80億円まで成長することができて、それが評価され、そのまま社長に就任しました。
僕が優秀だったというよりも、これまでの新規事業の立ち上げやジョイントベンチャーの挑戦を通じて培ったビジネスの勘が当たったことが一番の要因ですね。
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質問 LINEのヒットの裏側を教えてください。
実は、LINEは元々写真共有サービスのような形を想定していましたが、ちょうどそのタイミングで、東日本大震災が起きました。
インフラが止まり、電話も繋がらず人々が困惑する中、唯一の連絡手段としてその時活躍したのが、TwitterやFacebookといった実名のSNSでした。
社内でも「今、日本で求められてることは何か?」と振り返った時に、写真共有ではなく、メッセンジャー機能が最優先だという話になったんです。
そこから、サービスの方針を大きく変え、必要最低限の機能だけを兼ね備えたシンプルなメッセンジャーとして急ピッチで開発を進めました。
方針転換から約1ヶ月半でリリースまでこぎつけ、その後、機能改善を繰り返しながら、1年半後には1億人に使ってもらえるサービスに育っていきました。
最初からこれだけ伸びるとは思ってなかったですが、リリース直後の反応をみて、確実にヒットするという確信を持てました。スマホが世の中に普及してきたタイミングで、思い切って資源をLINE事業にシフトできたので、タイミングも良かったのかもしれません。
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48歳、日本を元気にする事業をやりたい
質問 その後、成長を続けるLINE社長を退任して、起業に至ったきっかけはなんですか?
2015年になり、気付けば48歳になっていました。残りの人生を考える機会も増えてきて、次第に、「日本が元気になるような事業をしたい」と考えるようになってきたんですね。
「LINEで新規事業をすれば良かったのでは?」というお声もよくいただくんですが、LINEはグローバル企業ということもあり、日本のためになる事業をやるなら、別の環境でやるべきだと考えました。
そして、改めて、自分と向き合った時に浮かんできたのが、「メディア業界を変えたい」「次の世代に何かを残したい」という2つの想いでした。
最近の若い人は、将来や今に不安を感じている人が多い気がするんです。連日、メディアが暗い情報を流していることで、日本全体が暗くなっていってるのではないかと思います。僕が子供の頃は、メディアは明るい情報を多く流していましたから、世の中に明るい雰囲気が常に溢れていました。
明るい話題を発信することで社会全体を元気にしたい、と考え始めて生まれたのが動画を主体とした若い女性向けの新メディアだったんです。
そして、2015年3月にLINEの代表取締役を退任し、女子のための動画ファッションマガジンを運営するC Channel株式会社を設立しました。
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質問 C Channelでもインターンシップ生を受け入れてると伺ったのですが、御社で活躍するインターンはどんな子ですか?
いい悪いは別にして、自分なりに考えを持ってる子ですね。
例えば、うちの場合だとC Channelを実際にユーザーとして使っていて、もっとこうした方がいい、こんな機能があると便利といったアイデアを言える子です。
特にターゲットユーザーと年代が近いこともあり、インターンシップ生の生の声は貴重なんです。僕もそうした声を聞くために、今いるインターンシップの子達とはご飯に行ったり、コミュニケーションもよくとっていますよ。
質問 これからインターンシップをしようという学生に一言お願いします。
やはり、一番大切な事は自分の成長ではないでしょうか。アルバイトをするよりインターンシップをした方が確実に成長に繋がると思います。
もしかしたら、インターンシップはアルバイトに比べて給料が低いかもしれませんが、実務の経験や仕事を通して繋がる人脈はお金には代えがたいものです。
僕自身、大手企業からベンチャーに転職、そして起業をしてきました。転職する度に年収が半分になったりしましたが、やりたいことをするための選択なので何の不安もありませんでした。
むしろ、会社に残るために、自分を犠牲にしてやりたくないことをやる方が辛いと思います。だから僕はやりたいことを実現するために、挑戦を続けてきました。
世界的に見ても、日本ほど安全でリスクがない国はない。この国にいて、挑戦をしないことほどもったいない事はないんです。なので、まずは自分がやりたいと思ったことは何事にも挑戦してみることが大事だと思います。
是非、皆さんには日本を明るく変えるようチャレンジをしてほしいですね。
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